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平手打ち騒動のデヴィ夫人、どんな経歴の人か知ってますか? [国内 エンタメ]


デヴィ夫人、出演者を3回平手打ち 暴行容疑で捜査ということでマスコミを賑わせましたが、
デヴィ夫人の事、どんな経歴の方なのか、ちゃんと知ってますかね?

なんと東京出身の日本人なんです。


○デヴィ夫人のプロフィール

デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno)
本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)
日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)
生年月日:1940年2月6日
出身地:日本
血液型:A型


インドネシア元大統領・スカルノの夫人ですので、デヴィ夫人という名前です。
株式会社デヴィーナ・ ソサエティ代表取締役ということで経営者でもあります。


デヴィ夫人は東京都出身の日本人で、旧姓 根本七保子(ねもとなおこ)さん。
貧しい家庭に生まれ、病弱な母と弟を養うため、中学卒業後に就職。
大卒と同じ給料が得られるホステスのアルバイトもしました。

1959年、訪日中のインドネシア初代大統領のスカルノが根本七保子さんに一目ぼれし、
根本七保子さん(のちのデヴィ夫人)は大統領の招待に応じてインドネシアへ渡り、
1962年にスカルノ大統領と結婚し、第3夫人となりました。これには裏があったらしく、
デヴィ・スカルノ自伝 (1978年)にはこのときの裏の事情について書いてあるそうです。

大統領は、この妻に『ラトナ・サリ・デヴィ(宝石の妖精)』という名を贈りました。
その後1965年に起きた軍事クーデター、いわゆる9月30日事件でスカルノ大統領が失脚し、
デヴィ夫人は身を守るためにスカルノと離婚せざるを得ませんでした。

デヴィ夫人は離婚をしてスペインへと亡命しました。紆余曲折を経て、スカルノ死去した後、
子連れでパリへ行き、パリの社交界に華々しくデビューしました。
でも、パリの社交界といっても主となる所じゃなくて裏の社交界だったという話があるらしいです。
そのせいか、インターネットではデヴィ夫人の経歴について自称・東洋の真珠と書かれていたりします。

また、日本ではスカルノ大統領と結婚したデヴィ夫人に対するバッシングはひどく、
日本に残されたデヴィ夫人の母と弟は貧しい暮らしから抜けられず、週刊誌のバッシングにも悩まされていました。

なかなか暗い過去というかブラックな部分が多そうなデヴィ夫人ですが、今ではタレントとして大活躍されてます。
以前の堅苦しさもテレビでは感じないようになりましたし、お笑い番組にもたくさん出演されています。

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